競馬は、いまもなおスポーツ業界の頂点にいます。世界最古のスポーツイベントのひとつとして、その長い実績を振り返ることは、とても注目に値するものです。その成功を要約した時、他の勢いあるスポーツのように競馬は衰えたり影を落としたりしないということを私たちは実感するのです。
たとえ何かがあったとしても伝統を維持しながら、同時に現代の技術にうまく適合していくことで讃えられてきました。数百万米ドルに上る巨額の賞金、エリート社会から王室、サラブレッドの繁殖、騎手、そしてレースに賭ける何百万ものファンに至るまでの参加者すべてが、競馬業界そのものなのです。
観客にとって、それは娯楽でしょう。騎手に関して言えば、それは情熱であると同時に職業でもあります。競馬が経済的な意味で見られるとき、それは地方とグローバル、両方の経済成長のためのツールです。雇用機会の提供、年間税収の増加、観光業の促進、地元の小売売上高の増加に役立っています。
いったいどの国が、競馬の長い歴史と成功に大きな役割を果たしてきたかを知っていますか?明白な答えは間違いなく、英語圏の国々が先導してきたということです。そして、今、21世紀の経済の変化に伴って、アジア諸国が主導権を握る扉が開かれました。このページでは時代の変化とともに、アジアで急成長している競馬の文化をご紹介します。
アジアにおいての競馬
ほとんどの競馬初心者は、英国のロイヤルアスコットや米国のケンタッキーダービーなどのビッグネームから始めがちです。もちろん、これらのメジャーレースでスタートしても害はありませんが、ここに賭ける大多数の人びとが世界の反対側を見落としている傾向があるのは事実です。
真の競馬ファンならば、研究をしっかりするものです。あなたがそのひとりならば、スポーツの最も進歩的な市場のひとつがアジアであることを心に留めておくべきです。そして、このページの後半で知る光景に驚くことでしょう。
香港とインドは、競馬業界の主要なふたつの基盤です。植民地時代の背景(どちらも元英国植民地の過去がある)を考えると、この壮大なスポーツがこれらの地で躍進した理由に驚くことはありません。
国別に見たアジア競馬
アジア48か国のうち、競馬が合法化されている国や地域を以下にご紹介します。あなたの国が含まれているかを見て、それがどのように維持されているかを確認してみましょう。
アルメニア
アルメニアは乗馬の注目地として成長しています。急進するコミュニティと最先端のトレーニングを司るのが、85ヘクタールの競馬ヒッポドロームであるHovik Hayrapetyan Equestrian センターです。
2001年にオープンしたこの国の乗馬スポーツは、1950年代にまで遡ります。現在、国内および地域のすべてのレースは、アルメニア馬術スポーツ連盟(FEA)が扱っています。
バングラデシュ
バングラデシュでの競馬は、国内でそれほど有名ではありません。その中でも人気なのが、チャランビーン地域で3日間行われる毎年恒例の独特なレース、チャランビール競馬です。レースは毎年バングラ新年のボイシャキに開催されます。地元の人々にとって競馬は、長い間故郷の遺産として受け継がれ、競争というよりはお祭りのようなものです。その場所を訪れると、イベントの始まりを示す活気に満ちた村祭りを見ることができます。
中国
現在の中国政府のシステムでは、ギャンブルスタイルの競馬はまだ現実的ではありません。実際、あらゆる形態のギャンブルは違法です。中国には合法的な競馬には障害がありますが、香港とマカオでのみ、賭けのできる競馬業界が存在し利用することが可能です。これらのふたつの特別行政区は、中国人と外国人のギャンブラーにとって究極のギャンブル天国です。
香港
香港において、競馬は特別です。それは多くの華々しいスポーツの中でも別格に値します。公開されているいくつかのマーケットリサーチ記事の中で、香港は世界の競馬市場での主要プレイヤーのひとつとして度々言及されます。香港ジョッキークラブは、マカオジョッキークラブとともに、Bwin(ビーウィン)、Ladbrokes Coral(ラドブロークス・コーラル)、William Hill(ウィリアム・ヒル)などの欧米系有名ブックメーカーと同様に扱われています。
イギリスがこのスポーツを紹介したことで、香港には150年以上の競馬の歴史があります。1884年に香港ジョッキークラブが設立され、公式レースも始まりました。競馬イベントを企画し、ベッティングシステムを監督する非営利団体として知られる、この地域で最も古い機関のひとつです。
現在、香港には30以上の競馬レースがあります。華やかで魅力溢れる、最も注目すべきレースは次のとおりです。
- ナショナルデイカップ
- SaSaレディース・パースデイ
- ロンジン・インターナショナル・ジョッキーズ・チャンピオンシップ
- ラッキースタート(チャイニーズクラブ・チャレンジカップ)
- 香港ダービー
- 香港インターナショナルレース
マカオ
今日、マカオという言葉はギャンブルという用語に相当します。この地域は、単に手綱を握っているだけでなく、世界のギャンブル業界を統治しています。2006年以来、マカオは米国のラスベガスを抜きました。
マカオでの競馬は香港ほど有名ではなく歴史もありませんが、この地域のマカオ・ジョッキークラブ(MJC)は、欧米の有名なクラブと同様に扱われます。MJCは、現在この地域での最大民間雇用主のひとつであり、パートタイマーを含めて1,000人以上の従業員を抱えています。
MJCには、多くの有名なレースが1年中組まれています。香港と同様、これらのイベントは数百万ドル相当の賞金を用意して国際的な馬と騎手を招きます。マカオダービーからディレクターズカップまで、すべてのイベントはタイパ島のタイパ競馬場で開催されます。面積は45万平方メートルで、18,000人以上の観客を迎えます。
インド
少なくとも200年の長く暗い競馬の歴史を持つ、もうひとつの国がインドです。インド競馬が最初に導入されたのは、イギリスの植民地時代です。インド人のクリケットへの愛情は揺るぎないものですが、インドの歴史的な競馬の背景の事実を消すことはできません。今では、競馬業界と繁殖業界の両方にとって、非常に確立された場所に成長しています。
この国には、さまざまなレース当局やクラブによって実施されるいくつかのレースがあります。その主要なレースのほとんどは、まとめて「クラシック」レースと呼ばれます。これらのレースは、5つの長期G1競馬であるブリティッシュ・クラシクスを手本としてデザインされました。インドのクラシックレースは次のとおりです。
- インディアン1,000ギニーと2,000ギニー
- インディアン・オークス
- インディアン・ダービー
- インディアン・セントレジャー
香港やマカオとは異なり、インドでは競馬の賭けが厳しく禁止されています。それは、スポーツが運ではなくスキルに基づいているためです。現在、一部の州のみでライセンスを受けたブックメーカーを許可する法律が制定されています。
日本
アジアの中で、香港に続いてもうひとつの印象的な国が日本です。年間約21,000以上の競馬が予定されています。最も人気のあるタイプのレースは、フラットレース、ジャンプレース、ばんえい(ドラフト)レースです。
日本はイギリスなど西洋の大国によって植民地化されていませんが、1860年代頃、イギリス人住民のグループによってヨーロッパ形式の最初の競馬が横浜港近辺に組織されました。皇室からの受け入れで急速に普及し、続いてサラブレッドの繁殖とレース産業の成長に繋がりました。
両グループの緊密な支援関係により、1954年に日本中央競馬会(JRA)が正式に設立され、1962年には地方競馬全国協会(NAR)がそれに続きました。
農林水産省の管理下にあるJRAとNRAのふたつは、競馬場、賭けシステムと施設、および調教センターを管理する統治機関です。
前者は主要な10の競馬場で著名な10の競馬イベントを監督し、後者は地域規模のレースに対して責任を負っています。 NRAは、地方のレーシングトレーナーや騎手のライセンス機関も管理しています。
この共同システムは日本独自のもので、日本の競馬業界が驚異的な成功を収めている一番の要因でしょう。そしてそれは、日本が世界で最も豊かなレースと競走馬の本拠地であることを意味しています。
後者がサポートしているひとつが繁殖部門であり、この日本の繁殖システムはある意味で少し制限的です。90年代初頭以前は、国内で飼育されていない馬や日本の種牡馬から生まれていない馬は、さまざまな主要レースから締め出されていました。イタリアのトニービンと米国のブライアンズタイム、サンデーサイレンス(1995年から2007年まで活躍した日本を代表する種牡馬)が一連の傑出した勝利を獲得した後、傾向は変化しました。
レースは季節限定です。春、秋、そして冬に行われます。カレンダーで最も待望とされているのはジャパンカップでしょう。短い歴史にもかかわらず、北米、英国、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリアからの受賞者を招待するイベントとしての地位を確立しました。現在41回目を数え、590万米ドル相当の高額賞金を誇っています。
HKJCとMJCに沿って、JRAはジャパンカップ(およびその他の国際級レース)を創設し、国内の競走馬が国際的な能力を持つ馬と競争する機会を開きました。賞金や賭け金、勝者はさておき、その目的はグローバルなレースコミュニティ内で営業権を促進することです。この目的をサポートするための主要なレースは次のとおりです。
日本の三冠
- 皐月賞
- 東京優駿
- 菊花賞
ジャパン・オータムインターナショナルシリーズ
- クイーンエリザベス2世カップ
- マイルチャンピオンシップ
- ジャパンカップ
- チャンピオンズカップ
米国ケンタッキーダービーの予選レース
- カトレア賞
- 全日本二歳優駿
- ヒヤシンスステークス
- 伏竜ステークス
フィリピン
東南アジアにおいて、フィリピンの競馬は150年以上の歴史を持っています。上記で紹介した国とは異なり、その影響はかつての植民者であったスペインと米国からもたらされました。文化や時代が異なることで、競馬や繁殖産業にさまざまな影響が入り混じりました。
最も古く権威があるレースクラブは、マニラ・ジョッキークラブ(アジア太平洋地域に存在する最も古いもののひとつ)とフィリピン・レーシングクラスの2クラブです。このふたつのクラブは、互いに長年競い合っていることでもよく知られています。
韓国
韓国もまた、遡ること1898年5月からのかなり長い競馬の歴史があります。この国は、その厳しい歴史、特に第二次世界大戦と朝鮮戦争を超えて競馬の伝統を回復し、維持したことで称賛に値します。現在、韓国馬事会(KRA)は、日本の足跡をたどり、香港のシステムをモデルとして成功するために最善を尽くしています。
この国で最も人気があり待望されているのは、コリアスプリント(現在89万ドル相当)とコリアンカップ(62万3000ドル相当)です。 KRAは、2022年までに約100万ドルの資金を投下する計画を発表しました。
英国の長く続く社会的および文化的現象である競馬
アジアにおいて農業と輸送のためのウマ種使用概念と実践は、何世紀も前に始まりました。とはいえ、競馬の社会的および文化的機関の誕生は、英国が訪れて影響力を及ぼし組織化するまでは存在しませんでした。
競馬は、英国で始まり長い間続いている観戦スポーツであり、何世紀にもわたる歴史があります。その永続的な魅力と伝統は、英国が世界的な舞台で強い存在感を示したにすぎません。そのため、数十年後、ほとんどの確立されたレースはしばしばフェスティバルと見なされています。
英国を拠点とする戦略コンサルタント会社であるヘンハム・ストラテジーは、その純粋な品質と世界的な名声を考えると、英国の競馬やその他の注目すべきスポーツは「ソフトパワー資産」であると指摘しています。つまり、グローバル規模で認識と理解を高める可能性のある堅固なプラットフォームを意味しているというのです。したがって「資産」と呼ばれるものは、関係が構築されて障壁が打ち破られると、外交的および商業目的を確保するのに役立つのです。
この潜在的な可能性が英国政府によって使われるにはほど遠いですが、さまざまな国の競馬機関の長期的なパートナーシップ間での事例は、すでに英国による影響力の代表的な例といえます。つまり、すでに多様化したグローバルコミュニティで営業権を促進することです。
また、21世紀は、中国、インド、日本の経済成長の高まりと進歩的な政治的見解の強い兆候を示しています。英国は競馬の情熱と美しさを共有してきたかもしれませんが、私たちはアジアの世界における存在の可能性を確信しています。