日本での競馬用サラブレッド種の生産について

日本は多くの産業で一流の存在として知られています。例えば、自動車や電化製品、そしてビデオゲームや食の産業などです。その他にも日本が一流として知られているのが競馬です。日本には、これまでに世界の主要な競技場を彩ってきた素晴らしい競走馬が多くいます。香港やドバイ、米国、オーストラリア、そして欧州の国々で日本の競走馬が勝利を収めた瞬間が目撃されてきました。

日本のサラブレッド種は、競馬業界の中でも最強の血統を持つことで世界的に知られています。では、日本はどんな方法でこのような名声を築き上げてきたのでしょうか。

サラブレッド種とは?

サラブレッド種とは、競馬用に非常に人気のある純種の馬のことです。サラブレッド種以外にも、競走馬として活躍している馬の種類は多くあります。例えば、クォーターホースやアラブ種などが挙げられます。サラブレッド種は、日本中央競馬会(JRA)から選ばれた種類であり、世界で最高品として評価されている馬の種類でもあります。

また、サラブレッド種はその美しい体格でも有名です。その強健さの他にも、引き締まった体は馬術などを披露する場合にも理想的だと言えます。そして、障害物競走や芝・ダートトラックなどの他の様々な競技にも向いています。

生産とは?

生産とは、種牡馬と牝馬の交配を許可したり、促したりすることで、当歳馬を産むプロセスのことです。このプロセスでは、選択育種という科学が用いられています。この中では、種牡馬と牝馬が持つユニークで理想的な特徴に基づいて選ばれ、その子孫となる当歳馬が同じ特徴を兼ね合わせて生まれてくることが期待されています。競馬の血統に関しては、ほとんどの場合数十年前に渡って記録されています。

この生産によって育てられた当歳馬は、その血統と初年度のトレーニングでの成果を元に専門家から評価されます。このプロセスは、日本で登録された生産牧場で行われます。JRAと提携した牧場で育てられた当歳馬のみが、2歳として競馬の格付けに出場することが保障されています。

日本におけるサラブレッド種の生産の始まり

記録によると、馬の家畜化は紀元前4500年頃から行われていたと言われています。しかし、人類の歴史の中で馬の選択的生産がいつから始まったのかについては、まだ明確になっていません。世界各地の農民によって非公式な記録として残されていたのかもしれません。

サラブレッド種に関しては、1730年代に輸入されたアラビア産、バーブ産、トルコマン産の種牡馬から種付けされたイギリス原産の牝馬の子孫として生産されたことが知られています。

サラブレッド種は、17世紀末に北米に輸入されるまでは、イギリスで独占的に生産されていました。その後18世紀から19世紀にかけて、この品種はオーストラリア、ヨーロッパ、そして最終的には日本に伝わるようになりました。それまで競走馬といえば、武士が使っていた木曽馬が主流でした。

日本トップのサラブレッド種の父馬について

日本はこの生産を開始して以来、サラブレッド種でも有力な種牡馬の記録を保持しています。種牡馬は、その当歳馬の成績に応じて毎年表彰されます。日本チャンピオンとなった種牡馬には、地方の競馬大会で何頭の当歳馬が好成績を収めたかによって、日本チャンピオン種牡馬の称号が与えられます。

  1. イボア (1924〜1929年)
  2. チャペルブラムプトン (1930年)
  3. ペリオン (1931&1932年)
  4. クラックマンナン (1933&1934年)
  5. トウルヌソル (1935〜1939年)
  6. レヴューオーダー(1940年)
  7. ミンドアー (1941年)
  8. ダイオライト (1942〜1943&1946年)
  9. セフト(1947〜1951年)
  10. クモハタ (1952〜1957年)
  11. ライジングフレーム (1958〜1960年)
  12. ヒンドスタン (1961〜1965、1967〜1968年)
  13. ソロナウェー (1966年)
  14. ガーサント (1969年)
  15. ネヴァービート(1970&1972&1977年)
  16. パーソロン (1971&1976&1984年)
  17. チャイナロック (1973年)
  18. テスコボーイ (1974&1975&1978〜1981年)
  19. ノーザンテースト (1982&1983&1985〜1992年)
  20. リアルシャダイ (1993)年
  21. トニービン (1994年)
  22. サンデーサイレンス (1995〜2007年)
  23. アグネスタキオン (2008年)
  24. マンハッタンカフェ (2009年)
  25. キングカメハメハ (2010&2011年)
  26. ディープインパクト (2012〜2020年)

生産に関する専門用語

馬の生産の場面でしか使われない専門用語がいくつかあります。ほとんどの人が馬という生き物を単に「馬」として認識しているでしょう。生産や競馬の界隈では、それぞれの馬は性別や年齢を元に認識されています。ここでは、競馬業界で使われている基本的な用語をいくつかご紹介します。

当歳馬は、その誕生から1月1日に2歳の誕生日を迎えるまでは「1歳馬」と呼ばれています。当歳馬は1年のうちのどの日に生まれたとしても、北半球で生まれた馬はすべて1月1日、南半球で生まれた馬は8月1日に誕生日を迎えることになっています。2歳の誕生日から3歳までは「2歳馬」と呼ばれています。

2歳から4歳までの馬は、雄の場合はコルト、雌の場合はフィリーと呼ばれます。5年目のシーズンになると、コルトは馬(ホース)や種馬(スタリオン)になり、フィリーは牝馬(メア)になります。雄馬の去勢はどのタイミングでも行われ、去勢された雄馬は、「せん馬」と呼ばれます。

生産では、父馬はサイアーと呼ばれ、母馬はダムと呼ばれます。ほとんどの場合、ダムよりもサイアーの血統が追跡されるので、競走馬のプロフィールにはグランドサイアーやダムサイアーという用語が含まれることが多いです。グランドサイアーは当歳馬の父馬の祖父馬、ダムサイアーは母馬の祖父馬を意味します。

サラブレッド種を生産する理由

サラブレッド種の生産とは、自然に生まれた種馬や牝馬の中から、競争力のある馬を育てることです。もちろん、結果が保証されることはありません。素晴らしい競走馬から生まれた当歳馬が、一度も大きなレースに出場しないことはよくあります。それでも、遺伝学を利用することは、今までの世代の競走馬より優れた最高級の種馬や牝馬を生み出すための最良の方法であることに変わりはありません。

より速い馬が求められるようになったのは、1981年のジャパンカップの初戦で日本が痛恨の敗北を経験したことがきっかけでした。競馬は6世紀から行われていましたが、それまでは孤立したスポーツとして考えられており、各国の競馬場はより質の高い競走馬の探索を始めるべきだと考えました。

チャンピオン馬の輸入について

日本におけるサラブレッド種の生産の一貫として、国外からチャンピオン馬を輸入することがあります。ジャパンカップが開催される前の1970年代、社台スタリオンステーションは国内有数の生産牧場でした。その馬主である吉田善哉氏が、当時の日本の種馬を代表するノーザンテーストを輸入しました。

吉田氏は1989年にもチャンピオン馬を輸入したのですが、それがサンデーサイレンスです。後にサンデーサイレンスは、国内だけでなく世界をリードする新たな種馬となり、吉田氏が選んだ競走馬はどれも素晴らしいレーサーとして有名になりました。その中でも特に注目を浴びたのは、ディープインパクトとブラックタイドです。

ノーザンテースト

ノーザンテーストの当歳馬は、ジャパンカップで国際競走馬を相手に日本代表として活躍しました。この当歳馬は、天皇賞、優駿牝馬、東京優駿など、地方競馬の名門レースで優勝を収めました。残念ながらジャパンカップを制するほどの強豪は現れませんでしたが、彼の血統は後世の競馬業界でのサラブレッドに大きな影響を与えました。

ノーザンテーストは、1970年代に社台グループによって購入されたカナダの凄腕レーサーであり、日本におけるノーザンダンサーの血統の主な源流です。ノーザンテーストの子孫は非常に人気があり、サンデーサイレンスのダムとして活躍した優秀な血統にも貢献しました。

サンデーサイレンス

サンデーサイレンスは1995年以降も日本一の血統だと言われていました。2002年に亡くなりましたが、2008年までは直系の当歳馬たちがJRAを席巻。サンデーサイレンスが産んだ当歳馬の数は2000頭にも及び、その多くはJRAの全てのステークスに出走していました。彼の全血統のうち少なくとも17頭は、一定の成功を収めた種馬となりました。2020年から2021年の現在の出走馬の大半は、サンデーサイレンスの直系の子孫です。

サンデーサイレンスの種馬としての成功には前例がないと言われています。彼の膝の形は変わっていたため、小走りする時には足がふさがってしまう状態でした。そのため多くの競馬専門家からは、「変な脚」と呼ばれていました。この特徴はほとんど全ての当歳馬に見られ、後に良い馬の印として認識されるようになり、実際にサンデーサイレンスの当歳馬たちは、2歳シーズンの頃に素晴らしいレースを繰り広げていました。

オーストラリアの競馬協会は、日本馬の国際大会での大いなる活躍を目の当たりにしたため、社台スタリオンステーションやJRAと良好な関係を築くことに力を入れ始めました。これには社台グループ(牧場を継いだ吉田善哉の息子達)も同意。残念ながら、サンデーサイレンスの当歳馬は海外のレースで活躍することは多くありませんでした。

ディープインパクト

ディープインパクトはサンデーサイレンスの血統の中で最も成功した競走馬であり、世界で最も有名な血統の1頭です。日本馬オブザイヤー(2005年・2006年)を2度も受賞し、2008年にはJRA殿堂入りを果たしています。父馬と同じく、競馬を引退した後も北海道の社台スタリオンステーションで暮らしていました。

ディープインパクトについて注目すべき点は、彼もノーザンダンサーの血統であるということです。彼の母馬であるウインドインハーヘアは、ノーザンダンサーの息子馬であるリファールの孫娘馬です。つまり、リファールはノーザンテーストの兄弟馬ということです。そのため、ディープインパクトはノーザンダンサーとサンデーサイレンスの血統を受け継いだ日本を代表する血統ということになります。

ディープインパクトは、2012年から2021年にかけてJRAのグレードレースを席巻する新世代のスーパーホースの父馬となりました。具体的には、ジェンティルドンナ、キズナ、ディープブリランテ、フィエールマン、コントレイルなどがその名を連ねています。そして、サンデーサイレンスとは異なり、ディープインパクトの当歳馬は日本だけでなく海外でも活躍しています。ディープインパクトは2006年末に引退してから2019年半ばに亡くなるまで、800頭以上の当歳馬を輩出しました。

日本の生産牧場

日本には全部で959戸の登録された生産牧場があります。その中でも最も有名なのが、吉田善哉氏の家族が社台グループとして所有・運営する社台スタリオンステーションです。日本を代表する種馬であるノーザンテースト、サンデーサイレンス、ディープインパクトを輩出しています。

2020年現在、日本には800戸以上の牧場があります。一見多いように感じますが、例年に比べればかなり少ない数です。2007年には全国に1160戸の生産牧場がありましたが、2000年には1600戸近くになっています。それでも、地域ごとの牧場の割合は年々変わっていません。

北海道は生産に理想的な気候が備わっているため、全国で最も多くの牧場が集中している地域です。サラブレッドは熱血馬であり、スピードと俊敏性を求めて育てられるため、若くして心臓発作を起こしやすく、オーバーヒートしやすいのが特徴です。一方、冷血種の馬は力仕事や農作業に適しており、持久力が最も評価されています。

JRAの生産販売実績によると、北海道は全国の91%を占めています。その他にも、以下のような牧場があります。

  1. 九州の島々
  2. 青森県
  3. 岩手県
  4. 宮城県
  5. 福島県
  6. 栃木県
  7. 千葉県
  8. 宮崎県
  9. 鹿児島県

北海道のもう一つの理想的な特徴としては、広々とした大地があるため、馬を自由に放し飼いできるということです。九州の島々では工業化が進んでいるため、こういった生産方法は少なくなってきています。九州の方が、1歳馬や2歳馬、プロの競走馬の育成に適しているため、全国的にはまだまだ生産産業は盛んではあります。

馬の生産ビジネス

この記事の冒頭では、馬は複数の要因に基づいて評価されると解説しました。その中には、勝利したレースの数や参加したイベントの種類に基づいて決められるパフォーマンスが含まれます。新生児の当歳馬は、競馬の血統と初年度の健康状態に応じて評価されます。

この様な当歳馬は、数百万円で査定されることもあります。現在、全国で最も高価な当歳馬はディープインパクトの子孫馬です。ディープインパクトの当歳馬の中で最も高価な記録としては、国本哲秀氏が5億1000万円という高額で購入したサトノスカイターフが挙げられます。20年後にはこの業界がどこまで発展しているのか、今は想像することしかできません。

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